手紙
三月五日は卒業式だった。
総務部長であり、総務部内唯一の教諭である俺は司会をした。教諭でない人に司会をさせて、失敗しましたでは済まされないからだ。
足が痛くて、直前の金曜日に学校を休み、病院に行った。「なんとか、卒業式だけを乗り越えられるように、出来ないものでしょうか」と無理にお願いしたのだ。卒業式の一時間の間、司会をしながら立ち続けることは、どう考えても無理だった。途中で、もう出来ませんというわけには行かないのだ。
お医者様はリウマチの投薬治療を中断して、強力な痛み止めのみで一週間過ごすことを指示された。このとき、驚いたことがあった。診察を終え、控え室に戻ってしばらくすると、また診察室に呼ばれたのだ。一回目に指示された投薬方針を撤回され、別の指示をされたのだ。診察後に、考えに考えて、変更されたのだ。本当に驚いた。一回目の指示でも十分理にかなっていたはずだ。しかし、もっと良い方法はないかと、考え直されたのだ。ああ俺は、なんて良いお医者様に巡り会ったのだろう。こういう訳で、俺は卒業式を無事に乗り越えることが出来た。
泣きながら司会をしてしまった。
卒業式後は俺の学年はランチ会に行ってしまったが、俺だけ断ってしまった。必ず卒業生が俺を訪ねてくるからだ。そして、たくさんの卒業生が訪ねてきてくれた。教師冥利に尽きる幸せな時間だった。
お手紙やプレゼントをいただいた。
うちの生徒はひとりひとりが重い課題を抱えている。それを命がけで乗り越えて卒業までたどり着いたのだ。想い出の一つ一つが、甦ってきて、胸が詰まった。
通信制に来て、この圧倒的に挫けた生徒たちに出会い、日本一の授業をするのだと決意した。中学校に行っていない。前の高校を退学になった。40歳過ぎて入学してきた。そんな子たちに、日本一の愛情を注ぎたいと心から思った。そして今、そのような自分になれた自負がある。この子たちのおかげだ。つまり俺はこの子たちから学んだのだ。
大切な大切な教え子たち。俺はこの子たちを愛している。
今日は21日。なんで今頃卒業式の話を書いているかというと、明日が異動の内示だからだ。
俺は武道空手を通じた教育に着手するために、阿蘇への異動を希望した。
「通信制の子どもたちを捨てていけるのか」と、毎日毎日、自問自答する日々だった。出した結論は、「世界中の人が俺を待っている」というものだ。
まず阿蘇に拠点を作る。それを全国、東南アジア、アメリカと広めるのだ。
ビジネスではない武道教育としての空手を世界に輸出し、世界平和を目指すのだ。俺は政治家ではなく教育者だ。
教育者として出来ることを命がけでやりたい。
通信制の生徒たちは日本一かわいい。
俺は日本一幸せな高校教師だと心から思う。
しかし、もっと大事なことがあるのだ。
俺は奇跡的に運が良い。
明日の内示は、必ず阿蘇に異動だと信じている。
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