∞Method

無限理論

中年オヤジの悪あがき

48歳で本格的に空手を再開して、とても苦しみました。

スパーリングで、スタミナがまったくもたないのです。

4ラウンドもやると、死にそうでした。

どんなに稽古しても「身体能力的」に、高校生には絶対勝てない。

しかし、負けたくありません。

中年親父が負けないためには、「考える」しかありませんでした。


まずコンビネーションの工夫をしました。

次に、毎回「今日の必殺技」を考えて、強敵に当たる度に試しました。

効果はありましたが、スタミナがもたないことには、変わりありませんでした。

100mダッシュを何回もしているのと、同じ感じです。

この身体の動かし方が、ダッシュそのものであることが、スタミナが持たない根本原因です。


鍛え上げた陸上選手でも、100mを全力で走れば、ぜーぜーと息を吐くでしょう。

このような動き方ではだめだという結論に至りました。


『中年親父でも十分闘えるはずだ。

テレビで見る「達人」は、みな「老人」じゃないか。

俺はまだ、中年だ。

もっともっと「根源的な何か」があるはずだ。』

と信じて、徹底的に考えました。


そして、大きな発見を得ました。


これは、どうしたら疲れないかという、いわば「ずるい動機」でスタートした考え方です。

しかしそれは、万人に通用する理論であると確信するに至りました。


例えば空手を始めて3年間は、組手をさせてもらえなかったとかいう話をよく聞きます。

確かに崇高な武道を、心身共にマスターするには、それは想像を絶する稽古の積み重ねが必要なのでしょう。

しかし、その3年間の間に暴漢に襲われるなど、闘わねばならない場面に遭遇したらどうするのでしょうか。

10kgダイエットしなければ、闘う身体とは言えないといわれたら、その間は闘ったらいけないのでしょうか。

家族が襲われているその時に、暴漢に向かって「まだ基本しかやっていないので、あと3年待ってくれますか?」と言えますか。


私は、今日稽古したことは今日使えるべきではないかと考えます。

毎回の稽古で技の研究をし、それを身体に刷り込む訓練をする。

ただやみくもに反復練習するのではなく、自分にフィードバックしながら稽古をする。

夜、布団に入って振り返ったとき、「今日どんなことを学んだのか」が、実感として残ることが大事だと思うのです。

それは決して楽な方法ではなくて、さらに高いレベルを目指すための大事な一歩なのだと信じます。


ちなみに、「今日の必殺技」シリーズは大量に蓄積され、私の「秘密兵器」になりました。


曲がる鉛筆

最初の気づきは、一本の鉛筆でした。

鉛筆の端から1/3程度の所を指でつまんで上下に揺らすと、固いはずの鉛筆が大きく曲がるように見える体験をしたことは、誰にでもあるでしょう。

ずっと、ただの「残像現象」で片付けていたのですが、最近これは「進行波」ではないかと気づきました。

本当に、波が進んでいる状態だから「波打って見える」のではないでしょうか。

一番端っこを持つと、少し曲がって見えはしますが、大きくは曲がりません。

中心でもダメです。これは、超重要です。

箸を持つときも、端っこや中央を持ちませんよね。

支点が中央ではいけないのです。

支点の位置を「1/3」くらいに持ってくることには、大きな意味があるということが、後々わかりました。


「引く」爆発力

波の形で力が伝わることを、「ムチ」でイメージしてみました。

ムチが痛いのは、手元の「小さな動き」が最後には「大きな衝撃波」になって、対象に当たるからです。

「え?なぜ大きな衝撃波に変わるのだろうか。」

と不思議に思い、身近なタオルをムチのように前方に向かって振ってみましたが、ヘナヘナとなるだけで力はありません。

タオルはムチにはなりませんでした。

ところが、これを水平方向に横に、つまり右手なら右方向に「素早く」振って、波が先端に伝わる「直前」にバッと手前に「引き戻す」と、「バチン!!」と大きな音を立てて弾けたのです。

最後の一振幅だけが、引くことによって何倍も大きくなったのです。

波は最後の直前に「引く」ことによって、爆発的な力を持つことがわかりました。

きっと身体においても、力の伝わり方は、「波」の形に違いないと、直観的に確信しました。


「突き」と「打ち」

引くことによって大きな衝撃波が発生することは、「突き」と「打ち」の,、「打ち」と同じであることに気がつきました。

「突き」とはまさに、「突き抜く」ことです。

では「打ち」とは何なのでしょうか。

私はこれまで、「裏拳顔面打ち」では、突きと同じように、突き抜くようにしてました。

それを、完全に力を抜いて、構えた裏拳を前方に放り出すように投げ出し、当たる「直前」に「瞬間的」に大きく「引く」よう変えました。

実際にやってみて、引くことによって、強く「スナップ」がかかることがわかりました。

これは、タオルが弾けるのと同じです。

現在は「裏拳左右打ち」「裏拳脾臓打ち」「裏拳回し打ち」「正拳あご打ち」、「手刀顔面打ち」「手刀脾臓打ち」などなど、「打ち」というものは全て「引く」ようにしています。


その後、「突き」にも「引く突き」があるのではないかと考えました。「槍術」において、「突く」より突いた瞬間の「引き」の方が大事だと知ったからです。

それから「引く突き」を稽古したところ、できるようになりました。当たった瞬間の衝撃の大きさは、「突き抜く」ときと、ほぼ変わりません。

引くことによって、衝撃のみが対象に伝わる感覚です。

突きの性質が違うということだと思います。

伝統派空手の方々が「引く突き」をされているのを見て、「寸止めだから引いている」と考えていたのが、私の大きな間違いであることがわかりました。

大変失礼しました。



質量=エネルギー

中退してしまいましたが、八代高専機械電気工学科でたたき込まれた「力学」「微分・積分」は、のちにめちゃくちゃ役に立ちました。

空手を力学的に分析することが出来たからです。

いくつか、方程式を並べてみます。

運動方程式ma=F(質量×加速度=力)

運動エネルギーE=1/2mv↑2(E:エネルギー、m:質量、v:速度)

位置エネルギーE=mgh(E:エネルギー、m:質量、g:重力加速度、h:高さ)

相対性理論E=mc↑2(E:エネルギー、m:質量、c:光速)、

力やエネルギーなどを扱う方程式にいつも質量「m」が登場することに、あらためて気がつきました。

その時、10代の頃に読んだ科学雑誌「ニュートン」に書いてあった一文が、鮮明に蘇りました。

「アインシュタインは、質量とエネルギーが等価であることを発見した。」

つまり、質量そのものがエネルギーだということです。

原子爆弾はこの理論から生まれました。

悲しいことです。

人間は体重があるのだから、膝の力を抜けば、ストンと体は落下します。

そう、落下する「位置エネルギー」を最初から持っているのです。この落下するエネルギーを「力の根源」として利用すれば、「筋肉による力」に頼らないで闘うことが出来るのではないでしょうか。

私はこのことに気づいてから、かなり長い時間、スパーリングが出来るようになりました。

床を蹴らなくても良くなったからです。

落ちることに、スタミナはいりません。

自分が落ちる力で前に進む、という話は1997年頃に読んだ、柳川昌弘先生の「空手の理」に書いてあった記憶がありました。それ以来、ランニングをするときは「落ちることによって走る」ことにしていたのですが、これがスパーリングに使えるとは、考えませんでした。

問題は、その落ちる力をどのようにして手や足まで「伝達、連動」させることが出来るのかでした。

しかも、最後には爆発的な力が発揮されねばなりません。

この部分の明快な説明をもとめて書籍やネットなど調べまくりましたが、どんなに調べても、見つけることが出来なかったのです。

しかし、曲がる鉛筆をスタートとして、「波の連動」という視点で、動き方の解析を試みました。


正中線?

武道関連の書物を読みあさりましたが、よく「正中線」という言葉が出てきます。

武道の常識と言えば常識ですが、しかし、「正中線とは何か」ということを、明快に定義しているものは、ひとつもなく、どなたに聞いても明確に答えてくださった先生はおられませんでした。

「正中線」と「回転軸」として解説されているのを良く見ました。

「身体の芯」のことだと言われた先輩もいらっしゃいました。

正中線のことだと思うのですが、マンガ「柳生兵庫助」の中では「人中路」と書いてありました。


黒田鉄山先生の動画を見て驚きました。

剣術の世界では、現代剣道のように、背筋をピンと伸ばして闘わないのですね。

前後左右に身体がうねります。

これにも衝撃を受けました。

黒田鉄山先生は、正中線のことを何度も語られていました。

よくわからなかったけど、少なくとも身体の中心線のことではないことは、わかりました。


身体の中心線として語られるとき、いつも「正面から」みた線を前提に言われています。

しかしそれは、線ではありません。

線とはあらゆる角度から見て、線でなければならないからです。

つまり、側面から見たときも、線なのです。


ハッと気づいて、野茂英雄さんの投球フォームを動画で研究しました。

そこには動きの総体として「球体」がありました。

数珠つなぎ的に、マイク・タイソンさんを思い出して動画を片っ端から見ました。

上体を大きく前後左右に振りながら、大振りのフックを炸裂させます。

主に上半身ではありますが、やはり動きが球体だと思いました。

野茂英雄さんや、マイク・タイソンさんのどこに正中線があるでしょうか?

いや、きっとあるのだと思います。

球体には中心点があり、そこは無数の直径が通っています。その直径が回転するから球体になるのではないか。

野茂さんのフォームを見て思うことは、回転軸そのものが、回転しているということです。


空手において、「回転するコマのように」という表現を使って、身体の軸を「垂直に立てる」ような指導を受けたことが何回もあります。

「身体の芯がぶれてはいけない」ということです。

基本においてはそうだと思います。

しかしそれで自由度がない、あまりにもガチガチに硬直した組手になってしまったような気がします。


三瓶師範の古い試合動画を見てみると、まるでマイク・タイソンさんのような、上体を振る闘い方をされていました。

「なんだ、こんなに昔から、気づいている方がいらっしゃったのだ」と、感激しました。

身体全体をひとつのコマに例えることに、無理があるのです。


コマは回転体一つで有り、もちろん回転軸が一つです。

しかし、人体には全身に「たくさんの回転体」があるはずです。

人体はバラバラの「回転体の集合体」なのです。

つまり、全身すべての別々の「回転体」を波のように「連動」させ、最後に巨大な一撃を形成するのだと結論づけました。


武道家ではない、肥田式強健術の肥田春充先生が、丹田を通る線のことを「正中心」と呼んでおられることを、今日知りました。

丹田を通る線。

どんな姿勢でも、丹田を通る線がある。それが正中線ならばとてもすっきりします。

それは回転体の軸ではなく、丹田を通る線です。

丹田こそ宇宙の神秘。武道の真髄です。

しかし丹田を通る線は、あらゆる角度に存在しますので、私はここで、正中線とは「丹田と脳天を結んだ直線」と明快に定義したいと思います。

これによって、側面から見ても斜めから見ても、一本の直線が存在します。

この定義は変わるかも知れません。


実戦の中では、正中線が常に「垂直」に立っていなければならない、ということはないはずです。

例えば野球のバッティングでもゴルフのスイングでも、決して正中線は垂直に立っていません。

繰り返しますが、垂直にととらわれるから、動きに自由度のない、ガチガチの組手になってしまうのではないかと思います。


X形連動原理=すりこぎ棒

野球のバッティングの指導などで、「腰を入れて打て」と指導する場面を見たことないでしょうか。

腰を捻った後に上半身が回らなければならない。

現代西洋スポーツの典型的な動き方です。

私もそのような動き方をしていたから、100mダッシュを繰り返しているような疲労感に負けてしまったのです。

腰が力の発生源であることは、世界共通の認識です。

しかし、腰を回すためには、床を蹴らなければなりません。

これがダッシュと同じ疲れ方をする原因です。

私は、箱形の腰、そして箱形の上半身、という概念を捨てることにしました。

動きを筋肉ではなく、骨格で解析してみようと考えたのです。

すると、腰の回転は腰椎を頂点とした股関節で底面を描く円錐運動であるという結論に達しました。

同じように上半身も、腰椎を頂点とした肩関節で底面(逆さまだから上面か?)を描く円錐運動です。

私は二つの円錐運動が、X形に連動していることに気がつきました。

右股関節が前に出るとき、左肩関節が後ろに引かれます。

左肩関節を引くことによって、右肩関節が前に出ます。

右正拳突きを出すとき、左手を「引き手」にするのは、股関節と肩がX形に連動しているからです。

実際の動きでは、これらは「連動的」ではなく、「同時的」に動きます。

一つ一つの連動の時間を限りなくゼロに近づけるのです。

数学で言う「極限」です。微分、積分です。

それについては後述します。

また、腰椎を支点として股関節から肩関節までを一本の棒と捉えたら、股関節の「小さな動き」が肩関節の「大きな動き」に変換されたと考えられます。

左肩関節から右関節へ連動するときは、左股関節から上にあがって、鎖骨とぶつかる位置を、私は支点と考えています。

これによって左肩関節より右肩関節の方がさらに大きく動くことが出来るのです。


このX形連動と同じ動きをしている、「あるもの」に気がついて、動画を探しました。

そして見つけました。

「すりこぎ棒」です。

すりこぎ棒の動きはまさに、二つの円錐の頂点をつなぎ、上下が一体となって連動していました。

動画の中にも見えますが、「支点を固定しない」ことも重要です。

後述したいと思います。

この二つの円錐形が頂点で繋がった形が無限大の記号「∞」に見えたので、「無限理論」という名称を思いつきました。

きっとあらゆる動きの中に、この「円錐」や「∞」の形が現れてくるに違いないという、直観的な確信がありました。

それが、自分の空手の核心になっていきます。


「円」の動き

回転とは「円」です。

空手の定義は「点を中心として円を描き、線はそれに付随するもの」と学びました。

この「円」の意味が、ずっと疑問でした。

身体の芯を中心軸として、コマのように回る動きをしたときの「円」とは、頭上から見た「平面的な円」であることがわかります。

例えば、「直線」的な突きは、本当に「円に付随」しているでしょうか。


ペダル原理

生活の中ではどのように円運動をしているだろうか、と考察しました。

例えば自転車でペダルを踏み込むとき、「脚で回転させよう」と思っているでしょうか?

もちろん、自転車競技選手は思っているでしょう。

しかし、生活の中では、ただ「まっすぐ」に踏み下ろすことだけ、意識しているはずです。

急いでいるときは、全体重をかけて「まっすぐ」踏み下ろします。

実は「円」運動でも、このように「直線」的に動いているのです。

それが自然な動きであるということですね。


「直線と円の関係」とは、こういうことなのではないでしょうか。


少しでも楽になるように自転車に乗っているのに、ペダルをこいですぐにへとへとに疲れていては、自転車は役に立ちませんね。ペダルを「廻そう」と思うと、すぐにへとへとになってしまいます。ぜひ明日にでも試してみてください。


疲れないためには、「まっすぐ」踏み下ろさなければならないのです。


ペダルは、軸を中心に回るような構造なのだから、回るしかありません。

ペダルの回転運動がギアとチェーンを使って後輪を回転させていることは事実です。

しかし、意識の持ち方、動かし方はあくまでも「まっすぐ」なのです。


これは生活の中のあらゆる円運動で同じでした。


車のハンドルは右に回すときは、右手をまっすぐ手前に引いています。

その時左手は、補助するように、ただまっすぐに、奥に向かって押しているだけのはずです。

大きく舵を取る時でさえ、やはりまっすぐに引き、まっすぐに押しています。

コーヒーミルのハンドルを回すときもそうでした。

手で回そうとしてみましたが、そうするとすぐに疲れ果てててしまいました。

ミルのハンドルを回すという回転運動は同じですが、身体の動かし方ひとつで、疲れ方がまったく違うという事実があります。

ちなみに、ミルに関して言えば、座った姿勢でも、股関節を交互に「前後」に動かしながら回すと、まったく疲れず延々と回すことが出来ました。

やはり、股関節と肩はX形に連動しているのです。

ぜひ試してみてください。


空手は一瞬の攻防で雌雄を決する武術ですが、敵は一人とは限りません。

本当の闘いでは、何時間の闘いになるか、わからないのです。

そのときに「疲れたから、もうダメです」と言えるでしょうか。

日頃から、疲れない「身体の動かし方」を、研究しておくべきだと思います。

ヒントは日常の生活の中に、たくさんあるのです。


ここでは「ペダル原理」と呼んでいますが、別に「ハンドル原理」でも「ミル原理」でもかまいません。

疲れないためには、円運動を直線的に動かしているのだという原理が理解できればいいのですから。

名前なんて、ただの飾りです。


そうそう、野球部の顧問をしているとき、バッティングの研究をして、王貞治先生の言葉に驚いたのを覚えています。

私が25歳の時でした。

王貞治先生は「バットをまっすぐ押し出すようにボールを打つ」と言われていました。

実際には身体が回転していることは、疑いようがありません。

しかし、世界一のバッターでさえ、「まっすぐ」に動いていたのです。

これは極めて大事なことだと考えます。


前後に割る

上半身について絞って考えるとき、大きなポイントがあります。

肩甲骨です。

私は大学生の頃から、肩甲骨を自由に動かす練習をしていました。

今では、肩甲骨をぐいーっと下から上に回して、肩の筋肉を持ち上げるという「秘技」が出来ます。

これをやると、超マッチョに見えるのですが、実は肩の筋肉はほとんど無いのです。

肩甲骨を一つの関節のように、稼働する部位とすれば、図のように身体を「割る」ことが出来ます。

それはまるで、身体を回転させたかのようです。

実際は回転しているのと同じなのですが、意識は「前後にまっすぐに割る」なのです。

回転させるのと、割るのでは疲れ方が全然違います。ぜひ試してみてください。


「割る」という表現は、甲野善紀先生の著書からお借りしましたが、この動き方は自分で考えたものです。


身体を前後に割ると、上半身の円錐運動が大きくなります。

それは、大きなストロークを生むことになります。

感覚的には、10cmくらい奥まで突き込めます。

長いストロークは「力積」を大きくします。

「力積=力×時間」です。


王貞治先生が、他の人のバッティングはピストルだが、自分の一本足打法はライフルだと言われてました。

ライフルは銃身が長いので、爆発力が弾丸にかかっている「時間が長い」、つまり「力積が大きい」のです。

その方が遠くまで飛ぶ。それが、ホームランになるということですね。

すばらしい。


あ!!!!

王貞治先生の天下無双の「一本足打法」は、自分の体重が落ちる力を利用した、バッティングですね。

今、気がつきました。

野球でも、実践された方が、いらっしゃったのですね。

それが、「世界一」のホームラン王だなんて。

私は中学3年生の時、巨人軍が宿泊しているホテルを訪ね、王貞治先生にお会いしたことがあります。

写真を撮らせていただこうとしたら、なぜか何回やってもシャッターが切れません。

いらいら、いらいらする王貞治先生。

しびれを切らした王貞治先生は「早くしないか!」と叫んで、ペシッと私の頭を叩かれました。

ちょっと、痛かったです。

ファンを大切にすることで有名な王貞治先生に「叩かれた」ファンは、世界じゅうで、私だけはないでしょうか。

ちょっと自慢。

一生忘れられない、大切な想い出です。


多段階円錐連鎖運動

例えば手刀顔面打ちの場合。

方を頂点として上腕を大きく円錐状に前方に廻します。

同時に肘を頂点として肘から先を円錐状に廻します。

最後に手首を頂点として円錐状に手刀を廻します。

後の動きは前の動きにプラスされる形になるので、後の方が、さらに大きな動きになるのです。

(大本は体重の落下、股関節、肩関節の連動が先にあります。)

これは、小さな動きが何回も段階を経ることによって、波のようにうねり、さらに大きくなっていくことを示しています。

一つ一つはすべて、「円錐」の回転運動なのです。

それが連なることによって、「波」になると言えます。

動かし方の意識としては、常に「まっすぐ」ですが、一つ一つは円錐連鎖運動なのです。

従って、一つ一つの円錐を大きく描くと、最終的に大きな力になると言えます。


手技も足技も同じです。

右回し蹴りでいうと、体重落下を起点として左膝、左股関節が前方に移動します。左股関節を頂点とした円錐の底面を描くように右股関節が円を描くように上方に上がります。そして右股関節を頂点とした円錐の底面を描くように右膝が大きく円を描くように前方に投げ出されます。右足首が膝の回転から遅れて、膝を頂点とした円錐の底面を描くように回転し、最後に対象にヒットします。すべて筋肉ではなく、骨格の円錐運動の連鎖として捉えます。これでムチがしなるような回し蹴りになります。しかし回し蹴りでも、まっすぐに蹴ることを意識します。別項で触れたいと思います。

ちなみに膝から下は最初から水平にすると、それだけで力、スタミナを消耗してしまうので、膝を外側に引き上げ始めたときは、膝下は垂直に垂らしておきます。

「突き」も「蹴り」も「受け」も完全に脱力した状態から繰り出すことを意識します。

芦原英幸先生が「回し蹴りはドッスーンじゃなく、パーンとけらなければならない」とおっしゃられていました。今にして思えば、これは「引く突き」と同じ「引く蹴り」ではないでしょうか。

力任せに蹴り込んではいけない。肝に銘じたいと思います。

踵で立つ

自然体組手の構え(スパーリングの基本的な構え)で立っているとき、立っているだけでスタミナを消耗していくことに気がつきました。これは、極めて大きな問題です。

廬山初雄先生の「我が生涯の空手道」シリーズを全部読みました。廬山先生が澤井健二先生から教えを受けた「立禅」をされるとき、少し踵を浮かせると書かれていました。そして天才、松井章圭先生がスパーリングの時は足の前の方に前の方に重心をもってくるんだと、ビデオの中で指導されているのを見たことがありました。それで学生の頃からそのように立っていたのですが、48歳を過ぎた私には、この立ち方ではスタミナが持たないと判断しました。

私は基本稽古もスパーリングも「踵」で立つことにしました。正確にはくるぶしの少し後ろ側を真下に下ろした部分。

すると不思議や不思議。まったく疲れません。

つま先側で立つと、身体の前面全体にに緊張があります。「前に前に動こう」というエネルギーが、身体の前面にたまっているのです。

私はこれを「戦闘的な立ち方」と呼んでいます。


尾てい骨が両足の中心を通るように骨盤を位置し、両肩を後方に引いて「踵」で立つと、身体の後面全体に力がたまり、尾てい骨から脳天まで「力が貫通」するのがわかります。立っているだけでエネルギーが貫通するのが分かるのです。また丹田にエネルギーがみなぎるのも実感できます。全身はリラックスしているのに、エネルギーが脳天を貫き、丹田にみなぎるのです。なぜだかはわかりませんが、体験的にたどり着いたことです。


不動立ちの時も若干膝を緩めて踵で立ちます。頭上、宇宙の彼方からのエネルギーが脳天から脊髄、肛門を通り地面下遥かブラジルまで貫くイメージをもちます。


基本的にはスパーリング中も踵で立つことによって、スタミナが飛躍的に持続するようになりました。立ち方一つでこれだけ違うのかと驚きました。


スタミナの問題で「踵で立つ」ことによる解決を閃いたのは、25歳の時に読んだ「科学する野球」で、「一流アスリートは踵で立ち、踵から走る」と説明されているのを思い出したからです。

本の中に出てきたのですが、モハメドアリがリング上で蝶のように舞うとき、本当に踵でステップを踏んでいたのを後にYouTubeで見たときは、大変驚きました。

塚本徳臣先生も踵で立っていることを、著書でお読みしまし、「俺だけではないのだ」と勇気をもらいました。


今では日常生活でも、座った状態から立ち上がるとき、階段を上がるとき、道を歩いているときなど、すべて踵重心で立ち、膝を前に抜きながら歩きます。

踵から背中、脳天までまっすぐ力が「貫通」するのがわかります。

私はこれで腰痛がなくなりました。


このようにして、基本稽古でもスパーリングでも踵で立ち始め、この立ち方には絶対的な自信を持っていたのですが、宮本武蔵先生が「つま先を浮かせ踵で立ち、踵で一歩一歩踏むように闘え」と書かれているということを知りました。

踵で立つということは現代スポーツ、現代剣道などの考え方とは全く反対の原理だと思われますが、武蔵先生によって、自分の考え方が、大筋で間違っていないと思うことが出来ました。

運動エネルギー保存則

これが本当に不思議です。

最初に動いた左の「エネルギーだけ」が、右側に伝わって動きます。

エネルギーは目に見えないものだと、頭ではわかってはいますが、心では信じたくないのですね。

これを見ると、納得せざるを得ません。

空手の突きは、いつのまにか相手を「押す力」になっています。


もし力がエネルギーならば、このように「相手を押さず」とも、力は浸透、貫通するはずです。


「引く突き」というのは、そういうことなのでしょうか。


相手に深く食い込む必要はない。

力がかかっている時間は短くていい。


爆発的な力、いやエネルギーを相手に浸透、貫通させること。

これは芦原英幸先生が言われていた、ドッスーンではなく、パーンという打撃ではないでしょうか。

そのような突き、蹴りが出せたら、幸せだと思います。

サイクロイド

もし空手が力学であるならば、空手の動きを明快な「方程式」で示せるはずです。

しかし私が知りうる限りの方程式は、空手の「威力の状態」を説明してはくれますが、どうしてそのような動きにならざるを得ないのかには、つながりませんでした。

力学は数学で表現されます。

ならば空手の動きも、数学的に簡潔に「数式」で表すことが出来るはずだと、確信していました。

馬鹿ですかね。

ところが先日、たまたま見た日本映画「博士の愛した数式」の中で、衝撃的なひと言を聞いてしまったのです。

主人公の数学博士が、愛する少年に野球を指導していました。バッティングです。


「最短距離で打つんだ。そう、サイクロイド曲線だ」と言ったのです。

衝撃が走りました。


サイクロイド曲線は高専数学で習ったのを覚えていました。

円が転がるときに、円周上の一点が描く軌跡のことです。

なぜだかわかりませんが、最近、サイクロイド曲線のことをずっと考えていたのです。

私にはこのような偶然が頻繁にあります。


なぜ、サイクロイド曲線がバッティングに関係あるのか。


調べてみると、サイクロイド曲線は「最速降下曲線」と同じであることが分かりました。

力学的に最速降下曲線を導き出したら、数学におけるサイクロイド曲線の式と同じ結果になるということだと、理解しています。


自然落下で、この曲線上に動いたときに、スピードが最大になり、到達時間も最短になるということです。

直線で結んだ距離より速く、早いということです。

不思議です。

このカーブの形状で滑り台が作られたとしたら、最大スピードに達します。


自然落下で、最短、最速になる「曲線」がある。

サイクロイド曲線。

それは「転がる円」。


これは運動上もっとも合理的、効率的な曲線なのではないでしょうか。


空手の動きはたくさんの「円錐運動の連鎖運動」であると、先に結論づけました。

その運動とサイクロイドの関係は、まだ整理がつきません。

しかし、絶対に関連があると私の直観が言っています。

自分の帰納的直観を信じよ。

これまでの死ぬような体験の中で導き出した信念です。

今後、研究を深めたいと思います。

転がる円

2016年12月4日。芦北高校でスクーリング(授業)をする日。

芦北に向かう高速道路を運転中、いつものように空手の動きについて思考を巡らしていました。

テーマは「サイクロイド」です。

「手刀顔面打ち」の動きを頭の中で解析していた時です。

すでに、細かい動き方については結論を出していましたが、どうしてそうならなければいけないのかはわかっていませんでした。それがサイクロイドで、するするーっと、解けていったのです。

手刀を耳の後ろに構え、大きな円を描いて相手のこめかみを打ち抜く。

この「大きな円」が間違いであることに気がついたのです。

手は肘を頂点にした円錐運動で小さな円を描く。

この円が転がっていくのです。

この場合円の中心は肘です。

肘が動くということは円の中心が動いていく、つまり円が転がっていくのと同じ事です。実際は円錐がコロコロ転がっているのですね。

肘も肩を頂点にした円錐運動です。肩も固定されておらず、動くので、肘の動きもサイクロイドを描きます。私は以前から、手刀顔面打ちでは脇を絞って肘を前に出していたので、肘は円を描いていました。

「中段内受け」では、大きく後方に引いた状態から、肘が円を描くように前に出て、肘から先は別の小さな円を描きます。

このように動くとき、手刀顔面打ちも中段内受けも最短、最速の動きになります。


なぜそれが最短最速になるのか。


私は「経験的」に「肘が先行」するとスピード、威力が倍増するということを知っていました。

そう、経験的になのです。

しかし今はそれが、「サイクロイド」だから、とはっきりとわかります。

回転する円の中心が動くことによって「転がる円」になるからです。

円周上を円が転がるサイクロイドを、「外サイクロイド(エピサイクロイド)」といいますが、ここでは簡単にサイクロイドで統一したいと思います。画像は外サイクロイドです。


突きも受けも蹴りも、すべてこのサイクロイドで説明がつきます。今はバッティングフォームもサイクロイドで説明することが出来ます。


「サイクロイド曲線=最速降下曲線」は重力方向の話ですが、あらゆる方向に対して最も効率的であるだろうと予測しています。

サイクロイド曲線の応用(内サイクロイド)によって「内接歯車」が作られ、様々な工業製品に利用されていますからです。

ロータリーエンジンもその一例だそうです。


私は12月4日を「サイクロイドの日」として生涯忘れません。


最速落下曲線

空手をする人なら「最短距離で打て」と習わなかったでしょうか。

私はそう習いました。それが「最速である」と。

最短距離とはもちろん「直線」です。

しかし実際の運動では、直線より速い遠回りの「曲線」が存在するのです。

それがこの「最速落下曲線」です。

数学で言うところの「サイクロイド曲線」です。

これは「転がる円」が作る軌道です。ただの「円」ではないことにも注意してください。

直線の坂を転がるときも、サイクロイド曲線を転がるときも、初期エネルギーは「位置エネルギー」だけです。

位置エネルギーとは、「質量×重力加速度×高さ」です。

まったく同じエネルギーで自然落下して、遠まわりの軌道の方が速いとは、いったいどういうことでしょうか。

私達にはは「最短の直線の方が速い」という「錯覚」、いや「思い込み」があるのです。

数学的な式は理解できなくても、この動画一つでその思い込みは覆されてしまいます。

これは垂直方向の自然落下ですが、あらゆる方向に向かう加速運動で同じ結果になるはずです。

同じエネルギー、同じ加速度ならばサイクロイド曲線で動いた方が速いということです。

攻撃が相手に当たるまでの時間が、遠まわりのサイクロイド曲線の方が早い。

この極めて大きな真実を、伝えていかなければいけません。


力を預かる

手のひらを広げて、重い鉄球を乗せ、握ります。

もちろん、落ちません。

そのまま、手を開いてください。

鉄球は、落ちませんね。

自分は力を入れていないのに、落ちないのはなぜですか?

それは、「鉄球が手を押している」からです。

空手も同じです。

相手の力が自分にかかっているときは、相手をコントロールできるということです。

合気道をやったことはありませんが、合気道の師範が「相手の力をいただく」ということを言われていたのを聞いたことがあります。

フルコンタクト空手では、相手の攻撃を「ガン」と受けるように指導されます。攻撃そのものを破壊するように。

それでは自分も痛いのがいやだったのと、受けとは「受け取る」ことだという信念から、相手の力を利用してコントロールすることを目指しました。今はかなり出来るようになりました。相手を圧倒的に「制する」ことが武道だと思います。

まず円錐運動で受けることによって、自分の力が必要ではなくなりました。

そして相手に当てる角度を研究することによって、完全に痛くなくなりました。

最後に相手の力を利用してコントロールできるようになりました。まだ完全ではありませんが、手足の動かし方、体捌きによって、相手を崩すことが出来ます。

相手を叩きのめすのではなく、圧倒的に制すること。

そのために、相手の力を預かることを、常に考えたいと思います。