古武術
いかにスタミナを消耗しないかを考え続け、「激しく疲れるのは単距離ダッシュするのと同じ動きをしているからだ」という結論に達しました。
そうではない動きを模索しているちょうどその時に、空手有段者の先輩教師から甲野善紀先生の著書を紹介され、読みました。なんというタイミングでしょう。
甲野先生は古武術研究家です。甲野先生を本当は強くないと、叩いている方もいらっしゃいますが、古武術研究家としてみれば、大変優秀な方であることは間違いありません。
甲野先生は日本の侍の動きを徹底的に研究し、「達人」といわれるようの方々が本当にいたのだという事の証明を試みたのです。
まさに僕が考えていたことがそのまま書いてあり、自分の中であいまいだった部分を明確に整理することができました。
もうひとつ、ちょうどその頃、職場帰りのコンビニでたまたま買ったマンガ「柳生兵庫助」に、そういう古武術の世界がそのまんま描いてあったのです。本当にびっくりしました。
空手で、移動稽古のとき下段払いの構えになるのですが、さっと右足を引き、左腕で下段払いをします。なぜ下段払いがセットになっているのか、ずっと疑問でした。そして移動するときはレールの上を歩いているように足はまっすぐに出します。伝統派空手では一度足を揃えてから広げます。なぜ、まっすぐに出すのか、ずっと疑問でした。このマンガを見てその疑問がするすると氷解していきました。
兵庫助のじいちゃんが見せる「無刀取り」は、僕が考えている「護身術」に大きなヒントをくれました。意識と意識、力と力のぶつかり合いではない闘いができる。
そんなのは伝説であり、迷信である、とは必ずしも言えないと思える動画を見ました。
後に暗殺されたロバート・ケネディさんが来日した際、合気道の塩田剛三先生が演武を見学されました。あまりにもきれいに投げられる門弟たち。それに疑問を持ったケネディさんは、身長190センチを超える自分のボディーガードを「投げてみろ」と要求します。塩田先生は快く受け入れ、ボディーガードと対峙すると、腕を取っただけで、その屈強なボディーガードはべたっと床にはいつくばったまま、動けなくなったのです。「クモのようだ」と大喜びするケネディーさん。苦笑いするボディーガード。投げ飛ばしはしませんでしたが、合気道の実力を知るには十分な資料です。
力ではない闘いの世界があるという事です。
空手は瞬間的な打撃による攻防であると、僕は特化して定義しています。決して剣術や合気道ではありません。しかし剣術や合気道と共通する部分、学ぶべき部分はとても大きいと感じます。
柔道にも本来は打撃技である「当身」があり、嘉納治五郎先生は最後まで柔道に当身を入れることにこだわられたと言います。打撃は空手、と杓子定規に分類できるものではないのです。
あらゆる格闘技、武術には共通する部分が極めて大きいと思います。
動き方の基本は同じだとさえ考えられます。
広い視野で、研究したいと思っています。
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