希望あるいは絶望
ほぼ関節リウマチが確定した。
他の病名がつこうとも、すでに骨がかなり破壊されていることは間違いない。
明日の、MRI検査で最終判断だろう。明後日からステロイド剤を飲む。
どれくらいの痛みかというと、ちぎれそうなくらい。救急車を呼ぼうか迷うくらい。
骨折より痛かった。
残りの人生を、学校での直接打撃制空手の普及に賭けようと決意したところに、グーも握れない。まともに歩けない。近いうちに、立てなくなるかも知れない。
少なくとも、激しい運動は禁止のはずだ。
俺は先頭を走る人間でありたい。
こういう風にパンチを出し、こういう風に蹴ると、相手は本当に倒れるんだよ。
そんなことを身体を張って語れる人になりたかった。
先のことを考えると、絶望してしまう。
先のことが考えられることを希望という。
考えられないことを絶望という。
一分先のことも考えられなくなったとき、究極の絶望がやってくるのだろう。
今は、今のことしか考えられない。
今日をどう乗り越えるかだけが、問題だ。
しかし、病気のことをあれこれ考えていても、しょうがないじゃないか。
出来ないことは出来ない。
しかし、出来ることはいっぱいあるはずだ。
軌道修正はしなければいけないだろう。
途中経過は違っても、たどり着く目標は、同じかも知れない。
そうだ。
俺はこれまでも、遠回りの人生を選んできたじゃないか。
同じ事だ。
これからは、最短距離を走ろうとしていたなあ。
これまでと同じ、遠まわりの道にしか落ちていない、ダイヤモンドを拾っていこう。
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